★緑水庵 HP
★fleur de RYOKUSUIAN ★緑水庵 facebookページ fb未登録でもご覧いただけます ★緑水庵 MAIL・TEL info@ryokusuian.jp 045-432-1740 ★緑水庵blog への コメント・トラックバックの仕方 カテゴリ
全体 緑水會 稽古案内 salon de thé(喫茶) お茶全般(茶道) 香り全般(香道) お花全般 和菓子 美術館・ギャラリー 能・文楽・歌舞伎 限定不能な芸道 歳時記 きもの 袱紗・風呂敷 日用のお気に入り 弓引き事始(弓道) アトピー その他 未分類 検索
以前の記事
2017年 02月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2008年 06月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 最新のトラックバック
その他のジャンル
ブログジャンル
画像一覧
|
2012年 03月 26日
2012年 03月 25日
(つゞき 「その5」)
パスポート最後は、ボーダレスアートミュージアムNO-MA。 予備知識がなかったので、受付で現代美術の美術館なのかと質問したところ、正規の美術教育を受けていない人の美術館ということだった。 明確には解らないまま見始めて、「あっ!これ、障害者の」。 何年か前にNHK「日曜美術館」で紹介していた非常に印象的な障害者のアート、それであった。 (帰宅後の検索で、2008年放映の「絶対唯一の表現者たち アウトサイダーアートの世界」と判明) 実際に目の当たりにして映像とは較べられない衝撃!心をがっと鷲づかみされるよう。 10代から20代前半くらいは、美術に対しても経験値が少なく、初めてのものに衝撃を受けたり、その後の美意識を変えるような作品に出合うことも間間あったが、30歳過ぎからはそう云うことがまずない。 久々の感覚である。 「新日曜美術館」で最も惹きつけられた澤田真一氏のとげで埋め尽くされた陶芸もあった。 他にも心惹かれたのは、中島涼介氏の漢字、橋脇健一氏の淡々とした作品、富塚純光氏の絵と文字の融合、作久田祐一氏の色紙の貼り絵など。 ボーダレスアートとは、アールブリュット(生キの美術)やアウトサイダーアートとも云い、日本では福祉施設で作られた作品が多いため「障害者の芸術」と評価されがちだが、必ずしも知的障害や精神障害をある人の芸術ではないとのこと。 いや、定義付けは何でもよい、心打つ作品に出会えた事は嬉しく、色々考えさせられた。 NO-MAがパスポートに入っておらずば、ここを知らなかっただろう、とても有意義な企画だ。 さて、今回の近江八幡は1日だけで、ウイリアム・メレル・ヴォーリズに焦点を当てて建築巡りを出来なかったので、次回はそれもしたい。 なお、近江八幡には名物が多く、丁稚羊羹・丁子麩・赤蒟蒻などを購入。 一人旅の夕食は、ホテルで簡単なものと地酒をいただきながら寺や美術館等のしおりの整理や使ったお金の記録をし、1日を振り返るのが好き。 今回は鯖寿司と地酒「月の観音」「七本鑓」で、アトピーのため2ヶ月程い ただかなかったお酒をこの旅から解禁してしまった。 いつもは旅行鞄に入れるぐい吞を、飲まないと思って持って来なかったのが残念だった。 ちなみに抹茶茶碗も持ち歩いていない … あらら。 (つゞく 「その7」「発達障害」) ←click! (クリックいただくと、ランクアップ) ありがとう。 #
by ryokusuian
| 2012-03-25 20:03
| 美術館・ギャラリー
2012年 03月 24日
(つゞき 「その4」)
八幡山を下りて、近江八幡の町を散策。 前日行った長浜の商店にも「雛飾り」されていたが、ここでも「まちなみに装うひいなのほほえみ」を開催していた。 市立資料館は、郷土資料館・歴史民俗資料館・旧西川家住宅・旧伴家住宅の4館で構成される。 旧西川家書院の享保雛 西川家・伴家ともに江戸・大坂・京にも店を構え、蚊 帳や畳表などを商った豪商。 西川家は宝永3年(1706)の建築で、一見豪奢ではないが木材など吟味され贅沢である。 昭和60年の改修は、おそらく近代になって改築した部分も当時の形に復元したのだろう、江戸中期の暮らしが良く分かり興味深い。 2年前に訪れた鞆の浦の太田家住宅を思い出したのは、どちらもきちんとした改修で、地元のボランティアの方だろうか、運営に温かみを感じたからだろう。 街並み再生が良い形でなされる土地が多くなっていると思う。 資料館前の道は朝鮮通信使が通ったため「朝鮮人街道」と云うらしいが、鞆の浦も朝鮮通信使と縁が深いので、そこにも共通点を感じた(鞆の浦も2月だったので雛飾りがあった)。 伴家の建物は西川家より規模は大きいが文政10年(1827)のもので、明治以降の改築で本来の姿で失われているのが残念。 雛飾りは西川家と比べると数は多いが新しいものが多い、「朝鮮通信使正使饗応料理」が再現されていたのが興味深かった。 なお、帰宅してから『近世畸人伝』の伴蒿蹊コウケイを輩出した家と知り、見学時に知っていればまた違う目で見られたが仕方がない。 郷土資料館・歴史民俗資料館はそれほど興味を持つものはなかった。 次のボーダレスアートミュージアムNO-MAは、予備知識なく観光パスポートに含まれていたので行った。 しかし、ある意味ここがパスポートからの一番の収穫だった。 (つゞく 「その6」) ←click! (クリックいただくと、ランクアップ) ありがとう。 #
by ryokusuian
| 2012-03-24 17:13
| 美術館・ギャラリー
2012年 03月 21日
(つゞき 「その3」)
2日目午後からは、「近江八幡観光パスポート」で近江八幡散策。 4か所の施設(市立資料館・かわらミュージアム・八幡山ロープウェー・ボーダレスアートミュージアムNO-MAが割安で利用できる。 まず、かわらミュージアムへ。 実は期待していなかったのだが、展示だけでなく、美術館自体の建築や古瓦を用いた「真・行・草」の庭も楽しい。 展示は基本的な本瓦葺・桟瓦葺の違いも解り易く、鬼瓦(大棟や降クダり棟)や軒丸瓦など新旧・大小等あって見応えがある。 また全国各地・世界各国の瓦も興味深く、瓦の基本的な解説書が欲しくて受付の方にお尋ねしたくらいだ。 ミュージアム裏の八幡堀沿い(右上)を歩いて、石牟禮ヒムレ 八幡宮へ。 由緒によると、成務天皇が武内宿禰に命じて大嶋大神を祀っ て鎮座、日牟禮は日觸ヒフレ(日蝕)の転とする説がある。 明治33年に能舞台(右下)改築にあたり観世流「日觸詣ヒムレモウデ」が初演、平成5年に93年ぶりに薪能として再演、その後毎年近江八幡薪能として演じられるそうだ。 9月の薪能も、3月の左義長祭と4月の八幡祭(松明・太鼓祭)も一度見たい。 さて、この石牟禮神社はもともとは法華峰(八幡山)に建てら れた「上の八幡宮」を遥拝する麓の「下の社」であった。 しかし、天正18年(1590)に秀次が八幡城築城のため「上 の八幡宮」を「下の社」に合祀。 この八幡山にロープウェーで登った。 現在は、昭和36年に本丸跡に京都から移築した村雲御所瑞龍寺がある(左:寺からの眺望)。 文禄5年(1596)、秀次生母(秀吉姉)日秀尼により、秀次の菩提を弔うため京に創建された寺である。 八幡山は、いくつかの時代の栄枯盛衰を見てきた山だ。 以下は読み省いていただいて良いのだが、近江と朝廷や武内宿禰について調べたところ、判らないことばかりだが興味深いことばかりなので簡単に書き出しておく。 ・午前中に参詣した長命寺は武内宿禰の開闢で、長命寺近くに大嶋神社(石牟禮社と大嶋 大神)もある。 ・武内宿禰は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の12代から16代の天皇に仕えたと云う 伝説的人物である。 ・「近チカつ淡海の志賀の高穴穗タカアナホの宮」(大津市穴太アノウ)は、景行(晩年)・成務天 皇の都で、仲哀天皇誕生の地。 ・仲哀天皇の后、神功皇后(息長帶比賣命オキナガタラシヒメノミコト)は近江の豪族息長氏。 ・応神天皇(誉田別尊ホムタワケノミコト)の「誉田」は、近江の安ヤス(野洲)国造の祖先「意富多 牟和気オホタムワケ」との関連が云われる。 (つゞく 「その5」) ←click! (クリックいただくと、ランクアップ) ありがとう。 #
by ryokusuian
| 2012-03-21 14:12
| 美術館・ギャラリー
2012年 03月 18日
萬々堂通則の「糊こぼし」は黄身餡の花芯に練切の花弁で、東大寺二月堂の十一面悔過ケカ(修二会)で本尊十一面観音に供えるため練行衆が「花拵え」する椿の造り花にとても似ている。
萬々堂製を二月堂練行衆盤(日の丸盆)写しに 今日の茶の湯稽古(15日で満行しているが修二会の趣向)のため、それを真似て作った。 萬々堂では花弁部分は薄く延ばして型で抜くそうだが、練切が柔らかくなってしまい手粉を付けて、 失敗した手作り どうにか形作った(白く粉っぽいのはそのため)。 修二会の椿に因んだ菓子の初めは、千代の舎竹村の「御堂椿」と聞く。 「奈良の食文化研究会」の「 出会い大和の味 46号」によると、終戦直後、東大寺での茶会用にと当時の東大寺管長 北河原公海長老と千代の舎当主の間で編みだしたとのこと。 しかし、萬々堂製「糊こぼし」は何度かいただいているが、千代の舎製「御堂椿」はだいぶん前に一度いただいたきりである。 味の記憶も定かでないので、来年3月奈良に行かれれば食してみたい。 椿の菓子は奈良の各店で工夫を凝らしていて、去年、米飴を買った砂糖傳 増尾商店の「奈良のお水取りにちなんだ和菓子」に8種紹介されている。 ←click! (クリックいただくと、ランクアップ) ありがとう。 #
by ryokusuian
| 2012-03-18 14:18
| 和菓子
|
ファン申請 |
||