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2006年 01月 31日
![]() 20年近く前、文楽「新版歌祭文 野崎村」で知ったおまじない。 お光は、恋敵お染が久松を訪ね来た時、戸口に箒を逆さに立てる。 それ以前にも、歌舞伎で「野崎村」は観ていたのに、知らないが故に見過ごしていた行動である。 しかし、一度その意味を知ると、時代劇などで時折見かける。 文楽の時は、私が知らないと思ってか、知人が教えてくれたが、知らないや分からないは、つまらないのだと改めて思う。 さて、何を意味するか、ご存知だろうか。 ご年配、子供の頃にお年寄りと一緒に暮らした経験を持つ人には、当たり前のことなのかも知れない。 これは逆箒サカサホウキと云って、早く帰って欲しい客を退散させるおまじないだ。 いわれは、逆さに立てた形が、神霊降臨の依代であるオハケと似ているためだというが、よく知らない。 ちなみに、撮影用に巻いた手ぬぐいは、文楽のかしら「つめ」の絵柄(桐竹勘十郎氏画)。 (参照 「野崎村」のおまじないをもうひとつ → 「袂糞」) ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-31 09:54
| 能・文楽・歌舞伎
2006年 01月 30日
![]() 20年ほど前、京都の学生寮での生活のため、三条大橋(東海道の終点)の内藤商店で購入した。 住まいの都合で、それほど使わない時期もあったが、緑水庵を結構してからは再び愛用している。 数奇屋の掃除に、掃除機は壁や柱を傷つける可能性があるので、箒が好い。 ただし、拙庵は密閉性が高い鉄筋ビルの中の数寄屋なので、夏のダニ発生を恐れ、いたしかたなく掃除機もかける。 日々使うものは、多少高価でも用の美を備えているのものを選びたい。 この箒、そう広くない拙庵で使う分には、一生もんの箒である。 ところで、1月初旬にTVで、ほれぼれする箒草の箒を紹介していたが、2本は必要ないと思い、製作者などの覚えを取らなかった。 今となってみれば、購入せずとも、覚えておけば良かったと思う。 参照 緑水庵の数奇屋 写真・図面 ←click! (つゞく 「ほうき2」、参照 「はりみ」) ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-30 05:58
| 日用のお気に入り
2006年 01月 29日
(つゞき 「正月の床1 結び柳」)
裏千家お家元の初釜式では床に由緒の神鈴を飾るところから、それに倣う門人が多く、拙庵でも同様である。 巫女が神楽舞で、手に持つ神鈴(神楽鈴)を振り、音を鳴らして神を呼ぶ。 しかし、神鈴と云えば、なんといっても能「翁」の三番叟であろう。 「翁は能にして能にあらず」と云われ、天下泰平、五穀豊穣を祈願する儀式としての舞のみの能である。 三番叟では「揉之段」に続いて「鈴の段」が舞われ、鈴を鳴らして拍子を踏む型は、大地をふみしめ種をまく所作を表し、また鈴自体も稲穂であるという。 いずれにせよ、神鈴を床に飾り、神を迎え、天下泰平、五穀豊穣を祈願する。 ![]() 友湖(何代か不明)が仕立てた訶梨勒カリロクに、六色の紐のものがあるので、これも間違えではないのかと購入した。 しかし、疑問も残っているので、六色の飾り紐について知りたく思う。 ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-29 19:41
| 歳時記
2006年 01月 28日
正月の門松を外す日は、時代や土地により異なり、京は14日、江戸は6日というものの、一定してはいないようだ。
![]() 門松と同じ時に外すのが本来だろうが、緑水庵では立春まで、年内立春なら旧暦元旦までは、掛けたままにしている。 神迎えや一陽来復の原義を離れたとしても、素直に美しい室礼シツライだから、少しでも長く飾っておきたい。 その言い訳として、新暦元旦の神迎えは終っているが旧暦では未だである、また、節分をお年越し、立春を新年とする考え方もあるため、としている。 正月の「結び柳」は、中国の風習「綰柳ワンリュウ」(柳三本使ってひとつの輪に結ぶ)を起源とする。 なお、外に小正月には「餅花」という風習もある。 茶家で、柳を掛けるようになるのは、いつごろからなのであろうか。 千家三代宗旦の作事「又隠」の楊枝柱(点前座入隅)には、柳釘が打たれているから、当然、行われていたのだろう。 宗旦以前に、現在に近い形で茶室に柳が飾られた例をご存知の方があれば、お教えいただきたい。 (つゞく 「正月の床2 神鈴」) ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-28 09:24
| お茶全般(茶道)
2006年 01月 27日
(つゞき 「けわひ1 鏡台」)
軽井沢彫をご存知であろうか。 明治時代、軽井沢に暮らした西洋人のために作られた家具から始まったもので、殊に桜の文様が好まれる。 知人Nさんは、少女時代を軽井沢で過ごし、軽井沢彫も身近でいらしたようである。 その後、彼女のお家は別の土地に移転されたが、今でも軽井沢彫の大きな箪笥や鏡台があり、素敵だ。 ![]() 実は落として柄が折れたのだが、とても気に入っているので、接着剤で貼って愛用している。 後ろ頭を見る時は、鏡台と合わせ鏡にしたりする。 小さい方は、3年前にNさんと軽井沢に遊びに行った時に求めたもので、紅をさす時に便利である。 ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-27 08:13
| 日用のお気に入り
2006年 01月 26日
(つゞき 「その2 芻狗」)
裏千家初釜でいただいた寿扇「芻狗吠天明」の意味を調べるうちに得た外の知識を書き留めておく。 狗吠イヌボエ 上代、狗人が、朝廷守衙シュガの任にあたり、犬の吠声ハイセイをあげること。 狗人イヌビト 南九州地方に住み、熊襲と並んで大和政権下に服属をがんじえなかった人のことを隼人と称し、「夷人雑人」としての扱いを受けた。 記紀神話の海幸が弟山幸に敗れる話は、隼人が狗人となる起源説話である。 (参考文献 「國史大辞典」「日本史大辞典」「大言海」ほか) 現在、例えば薩摩隼人のように、男らしい勇敢な薩摩武士、男という意味で用いられる隼人という言葉も、歴史的には複雑だ。 また、子供の頃、お伽噺として誰もが読む「海幸彦山幸彦」に、こんな謂れがあったとは、知らないことが沢山あるものだ。 さて、狗人は「元日・即位・大嘗會には、白赤木綿、耳形の鬘を着けて、儀に列す」、狗吠は「左は本声を発し、右は未声を発せよ、惣て大声十遍、小声一遍、訖オワりて一人、更に細声を発すること二遍」とある。 姿は、吠声は、どんななんだろう。 劇中で(能・狂言、その外か記憶が不確か)、登場する動物が布で耳を拵えているのを見た覚えがあるのだが、あんな感じか、想像すると可愛い。 遠吠えを真似るらしいが、法螺貝の如きか、聞いてみたい、「うぉーん!」って感じかしら。 識者に教えを請う。 ![]() 仙厓筆「狗子画賛」は、今であれば出光美術館HPで見ることができる。(了) ![]() (クリックいただくと、ランクアップ) ありがとう。 ▲
by ryokusuian
| 2006-01-26 08:22
| お茶全般(茶道)
2006年 01月 25日
1週間ほど前、出光美術館に行った。
三十六歌仙の饗宴 ![]() 「佐竹本三十六歌仙絵」が大正8年に切断、分割所蔵される次第は、「事件」とまでいわれる有名な話である。 以前、それぞれの行方を追跡調査したNHKの番組があった。 当時の政財界の数奇者たちが手に入れた各幅は、その後、所蔵者の浮き沈みもあり、転売を重ねていく。 所蔵することがステイタスと考えられ、時代時代の成功者が手に入れたがる、魔物のような美術品である。 その美術的価値は勿論なのだが、限られた36人となり、当時の数奇者と肩を並べる事にも価値があるのかも知れない。 当日の展観は七幅、もう少し出ると期待していたので、その点ばかりはがっかりだが、本紙のみならず、所蔵者の思い入れたっぷりの表具など、見所は多い。 「斎宮女御」は、事件の中心人物、鈍翁が所蔵するに至る経緯イキサツも付随して、興味深い一幅であるが、31日からの展観とあって見られず、残念であった。 さて、「佐竹本」以外では、数幅の柿本人麿像をポーズ、硯箱の位置、手にする料紙などで比較させる企画は、観点が面白い。 また、江戸時代になり、歌聖や歌仙たちが人間味を帯びた描写になるのが楽しい。 「三十六歌仙、全員集合!」といった感じの伝光琳の画稿、それを田中抱二が本画にしたもの、また其一が同じ配置でリメイクした絵(上のリーフレット)も目を引く。 ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-25 06:51
| 美術館・ギャラリー
2006年 01月 24日
![]() 小さなもので、寸法は竪八寸八分、横七寸一分、高三寸七分ほどで、A4より少し小さいくらい。 ![]() 上は蓋を開けたところで、懸子カケゴは横にスライドする。 蓋を閉めると、欅だろうか、木目が美しい。 簡素で綺麗な指物である。 (つゞく 「けわひ2 手鏡」) ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-24 06:50
| 日用のお気に入り
2006年 01月 23日
(つゞき 「その1 木鶏」)
裏千家初釜でいただいた寿扇「芻狗吠天明」の意味を調べるうちに得た外の知識を書き留めておく。 芻狗スウク 『老子』第5章 天地には仁イツクシミがあるわけではない。 万物を藁でつくった狗のようにあつかっている。 聖人にも仁があるわけではない。 ![]() (「中国古典文学大系」より) わらでつくった狗「芻狗」。 祭礼で神聖なものとして扱われるが、祭りがすむとわらくずとして捨てられる。 天地も聖人も、儒家のいうような仁愛を施すのでなく、むしろ非情であって、そこにこそ真のはたらきが あるということ。 -朝日焼「戌」 14代豊斎造- 木鶏啼子夜 芻狗吠天明 (ふたゝび補足) 風穴フケツ和尚が「古曲に音韻がない時はいかん」と問われた時の答え。『投子語録』 常識、分別を絶した世界をいいあらわした語。 芻狗趁鐡牛すうく、てつぎゅうをおう 『禪林類聚』 ![]() 『無門関』 僧、趙州に問う。 狗子クシに還って仏性、有りや、也た無しや。 州云く、無。 『趙州無字』と呼ばれる「狗子仏性」は、趙州の数ある公案の中で最も有名。 -萬古焼香合 瑞山造- 禅の公案集『無門関』の初関である。 (つゞく 「その3 狗」) ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-23 05:58
| お茶全般(茶道)
2006年 01月 22日
裏千家初釜でいただいた寿扇の意味を調べるうちに得た外の知識を書き留めておく。
木鶏モッケイ、ボッケイ 『荘子』達生 紀省子が王のために闘鶏を養っていた。 ![]() 「まだでございます。今は昂然と気おっています」という。 十日たってまたたずねた。「まだでございます。まだ(他の鶏の)響や影にも立ち向かいます」 十日たってまたたずねた。「まだでございます。まだにらみつけていきりたちます」 十日たってまたたずねた。「どうやらでございますよ。ほかの鶏が鳴くのを聞いても、べつに変わらなくなりました。離れたところからみると、木に彫刻した鶏のようになりました。その徳が完全になりました。ほかの鶏もしいて立ち向かおうとするものはなく、かえってにげだしてしまいます」 (「中国古典文学大系」より) -木ならぬ種ものの鶏- 人の道でも、徳が充実していれば、戦うとか、勝つとか負けるとか一切の計らいもない。 無為自然の心の状態で、相手の敵対心を失わせ戦わずして勝つ、というより呑んでしまう。 無心の働き、何事にも動ぜず、常に平常心でいられること。 ![]() 『禪林會元』 木鶏が、子の刻(午前零時)に人知れず鳴く。 無心のはたらきを象徴的に木鶏に例え、人知れぬはたらき、分からぬうちにということ。 -朝日焼「酉」 14代豊斎造- 双葉山関の木鶏たらん 荘子の木鶏は、双葉山関が「木鶏たらん」と修行した逸話と共に語られることが多い。 私は、双葉山の名前くらいは知っていても、この逸話を聞くことはなかったが、一世代前の方には常識なのかも知れない。 双葉山関に木鶏を示唆したのは、安岡正篤氏だそうだ。 以前、知人に氏の著書を勧めらながら読んでいないので、今度、図書館で借りてみよう。 (つゞく 「その2 芻狗」) ![]() ▲
by ryokusuian
| 2006-01-22 06:52
| お茶全般(茶道)
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