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木槿(むくげ)文様のきものがあったので、木槿について。
放言 其五
泰山不要欺毫末 泰山(たいざん)は 毫末(ごうまつ)を欺くを要(よう)せず
顏子無心羨老彭 顏子(がんし)は 老彭(ろうほう)を羨むに心無し
松樹千年終是朽 松樹千年なるも 終に是れ朽ち
槿花一日自為榮 槿花(きんか)一日(*いちにち)なるも 自ら榮(えい)を為す
何須戀世常憂死 何ぞ須(もち)ひん 世を戀(した)ひて 常に死を憂ふを
亦莫嫌身漫厭生 亦た身を嫌ひて 漫りに生を厭ふ莫れ
生去死來都是幻 生去死來(せいきょしらい) 都(すべ)て是れ幻なり
幻人哀樂繋何情 幻人(げんじん)の哀樂 何の情にか繋(かか)る
(新釈漢文大系99 「白氏文集 三」 岡村繁著 明治書院)
この律詩のうち「松樹千年終是朽 槿花一日自為榮」は「和漢朗詠集」に収められていて、日本人にもなじみが深い。
略して「槿花一日栄」は謡曲にも多用されているし、「槿花一朝夢(出典不詳)」も耳にする言葉だ。
木槿が朝(あした)に開き、夕(ゆうべ)に萎むことから短命なものに喩え、人生の儚さ、栄華盛衰を表現する言葉として使われる。
しかし、確かにひとつの花の命は短いが次から次へと夏中咲き続け、また高速道路の街路樹に植えられるくらい強靭な木(韓国では国花「無窮花ムグンファ」)。
一般の方にはそう注目されないようだが、夏を代表する茶花である。
茶事で後座の床に一輪向掛けにすると、庭でわさわさと多くの花をつけた様とは見違えるほど高貴で清らかだ。
露をおいた白一重の向掛けをお目に掛けたいが、あいにく画像がなかった。
ちなみに、「秋の七草」の朝顔は、万葉の時代、現今云うところの朝顔が日本にはないところから木槿とも桔梗とも云われる。
秋の野に咲きたる花を指(および)折り かき数ふれば七種(ななくさ)の花
萩の花尾花葛花なでしこが花をみなへし また藤袴朝顔が花 憶良
(「新日本古典文学大系2 「萬葉集 二」 岩波書店)
余談 一日花と云いながら、開いてつぼみ、翌日開いてつぼんで落ちる、二日の命のも …
ある?
参照 *印につき「
續 槿花一朝夢」
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