(つゞき 「
その1 木鶏」)
裏千家初釜でいただいた寿扇「
芻狗吠天明」の意味を調べるうちに得た外の知識を書き留めておく。
芻狗スウク
『老子』第5章
天地には仁
イツクシミがあるわけではない。
万物を藁でつくった狗のようにあつかっている。
聖人にも仁があるわけではない。
人民を藁でつくった狗のようにあつかっている。
(「中国古典文学大系」より)
わらでつくった狗「芻狗」。
祭礼で神聖なものとして扱われるが、祭りがすむとわらくずとして捨てられる。
天地も聖人も、儒家のいうような仁愛を施すのでなく、むしろ非情であって、そこにこそ真のはたらきが
あるということ。 -朝日焼「戌」 14代豊斎造-
木鶏啼子夜 芻狗吠天明 (ふたゝび補足)
風穴
フケツ和尚が「古曲に音韻がない時はいかん」と問われた時の答え。『投子語録』
常識、分別を絶した世界をいいあらわした語。
芻狗趁鐡牛すうく、てつぎゅうをおう
『禪林類聚』
狗子仏性
『無門関』
僧、趙州に問う。
狗子
クシに還って仏性、有りや、也た無しや。
州云く、無。
『趙州無字』と呼ばれる「狗子仏性」は、趙州の数ある公案の中で最も有名。
-萬古焼香合 瑞山造- 禅の公案集『無門関』の初関である。
(つゞく 「
その3 狗」)
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