先日、阿曾美術で開催されていた尾形周平展(11月28日で終了)に行った。
京都には写しの文化があるが、7年前に亡くなった尾形氏も唐物・高麗写しや仁清・乾山写しを得意とされた。
その周平先生から、学生の頃に教えを受けていた。
私は茶道をしているので茶の湯の焼物に接する機会の方が多いが、本来はいわゆる観賞陶器といわれる中国や高麗が好みなのかも知れない。
また、それは
観賞だけでなく
用の美も兼ね備えていて欲しい、と云ったら欲張りか。
茶道具でも、故北村謹次郎氏(京都、北村美術館)のような
綺麗な蒐集を好む。
中国陶器がより身近に感じるようになったのは、1989年、
故宮美術館に周平先生はじめ20人ほどで行ったことが大きいように思う。
故宮美術館が蔵する玉石のような青磁、青花、どれをとっても中国の底知れぬ文化を思わせた。
確か5日位、故宮美術館を見学した。
(いづれの画像もその時のもの)
その美を理解できたのは、それまでに周平先生からの教えの蓄積があったからこそ、と思う。
また、陶磁器の知識だけでない
審美眼も養っていただいた。
日々の様々な
こだわり(けっして嫌味ではない)が、子供だった私たちに、どれほど
憧れに映ったか。
先生にお会いしていなかったならば、分からなかったこと(知識ではなく)が多いと思う、と
感謝の気持ちでいっぱいになる。
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