(つゞき 「
置筒1」)
置筒が庸軒の創意であることは、『茶道筌蹄』(1816成立、稲垣休叟著)に見られる。
置筒
庸軒始リ也。千家ニテハ原叟始テ製ス、千鳥ト號ス、
西田氏所持。千家所持ハ巻水ノ蒔繪、無名。(後略)
(早稲田大学所蔵本、ただし緑水庵が句読点を附した)
『生花口伝書』(春古洞斎著、1811奥書)には、一重切の釘穴が欠けたので月の輪を切り捨て「遅馬」と名付けたとある。
最初は意図せずに出来た置筒「遅馬」、これは北村美術館所蔵「遅馬」と形が異なる。
一遅馬の事
藤村庸軒作なり。ある時一重切を切られし
ニ釘穴かけたり。夫故月の輪を切すて置
筒に用られし由、されハかけられぬといふ縁語をとりて遅馬とハ名付られしと也。
(『日本庶民文化史料集成10 数寄』(芸能史研究会編、三一書房)
『喫茶指掌編』(1825刊、速水宗達著)には、一重切の釘穴を大きくして置筒「旅衣」を作り、後に前後の窓を大きくしたとある。
なお、「旅衣」を掛けないと云う趣向からの銘であろうか?
庸軒置筒を始て切ること(巻第三目録)
藤村庸軒物数奇にて利休の一重切の姿にて後の釘穴を廣く明て置筒となして
旅衣
と銘したり。其後に前後同様に窓を作たり。
此花筒名物となりて今に庸軒の家筋の人所持せり。☐
(緑水庵註:解読不明)の置筒
の始めや。千家には原叟宗左用始しや。今の宗匠の見識にては他の作なれは
とて卑めて用間敷
(緑水庵註:モチイマジキ)勢なり。此置筒を庸軒筒と云り。
(早稲田大学所蔵本、ただし緑水庵が句読点を附した)
さて、往古、唐物花入は置花入が多く、和物は掛花入がほとんどで、殊に侘びの極地の竹筒を置花入にするのは相当挑戦的なことであっただろう。
流儀によって異なるかも知れないが、近年まで釘穴のある竹筒を置くことはなかったと聞く。
私見ではあるが、茶事で向掛にする花入を、近年の大寄せ茶会流行りで諸荘りにする時、床柱に掛けるより空間バランスの良さから置くようになったと考えた。
識者のご意見を拝聴したい。
参考文献 『角川茶道大辞典』
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