(つゞき 「
朝顔1」)
「朝顔」と聞くと、まず『生写朝顔話』を思い浮かべる。
初めて文楽『生写朝顔話』を観たのは、文楽を観始めた平成元年24歳の時(宮城阿曽次郎:故玉男師匠、深雪:蓑助師匠)。
『生写朝顔話』にとても魅かれたのは、10代から上村松園「娘深雪」が大好きなことが影響している。
松園には浄瑠璃を題材にした画が幾点かある(
参照 「
上村松園展5」)。
10代の時は「娘深雪」の解説文により、『生写朝顔話』の主人公を描いていることと、簡単なストーリーしか知らなかったのだが。
深雪は宇治の蛍狩りで見染めた阿曾次郎から扇に「露のひぬ間の朝顔を 照らす日影のつれなきに 哀れ一村雨のはらはらと降れかし」の歌を書いてもらう。
この画は、琴を弾く合間に扇を取り出して阿曾次郎を偲んでいると、人の気配がしたので扇を袂に隠した一瞬であるが、文楽にはない場面だ(以前はあったのかしら)。
松園の画はあまり心理描写がなされないが、総じて謡曲や浄瑠璃を題材にした「花がたみ」「焔」「砧」「お万の図」などはストーリーに応じた心情が描かれている。
「娘深雪」でも切ない恋心、情感があふれている。
この画と「生写朝顔話」は呼応し、どちらも私のお気に入り。
さて、金地の夏扇は、初めて『生写朝顔話』を観た直後に、感化され購入した朝顔の扇。
でも、真夏に持つと金地は暑苦しい、かと云って朝顔の時期しか持たないし、ということでほとんど使っていない。
参考 日本の名画9『上村松園』中央公論社
『上村松園展』日本経済新聞社
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