組香「
宇治名所香」に続いて、宇治の名所旧跡を数える『頼政』の前場に注目したい。
『頼政』に「橋姫」という単語は出ないものの宇治橋の景色を称えていて、「宇治名所香」の5名所全てが出ていると云っても差支えなかろう。
能の主体は武者としての後場だが、前場は
シテ老人(実は頼政)と
ワキ諸国一見僧が宇治の名所を語る中で私家集を遺すほどの歌人像を描く。
喜撰法師の庵、槇の嶋、橘の
小島が崎、恵心僧都の寺、
朝日山、
山吹の瀬、柴小舟…そして平等院の釣殿、
扇の
芝に話はおよぶ。
最後に「扇の芝」の名をあげ、頼政最後の地として話を発展
させる。
シテ (略)、源三位頼政扇を敷き自害し果て給ひし所なり、されば名将の果てたる所
にて候程に、今も扇の如くに芝を取り残して、扇の芝と申し候
後場で、頼政の亡霊は高倉宮(以仁王)を奉じて宇治橋に平家を迎え討ったこと、平等院の芝の上に扇を敷いて辞世を遺して自害したことを語る。
シテ 今は名にをか期
ゴすべきと
地謡 ただ一筋に老武者の
シテ これまでと思ひて
地謡 これまでと思ひて、平等院の庭の面
オモ、これなる芝の上に、扇をうち敷き、鎧
脱ぎ捨て座を組みて、刀を抜きながら、さすが名を得しその身とて
シテ 埋木の、
花咲く事もなかりしに、身のなる果は、あはれなりけり
なお、現在も平等院に「扇の芝」の跡が遺る(平等院HP「
扇の芝」)。
参照 「
埋れ木1」
参考文献 『頼政』(檜書房)
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