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2012年 11月 16日
![]() 豕子餅の風習は、平安時代には中国より宮中に伝わっていた(参照 「玄猪1」)と、『延喜式』(927)、『政事要略』(1002)、『掌中暦』(1124頃)、『源氏物語』(1008頃)などで分る。 お玄猪と聞くと、茶人は仁清の「玄猪包香合」も思 益田家伝来 仁清作「玄猪包香合」 い浮かべる人も多いだろう。 仁清と云えば宗和、宗和と云えば寛永サロン、そ のサロンの中心人物は後水尾院である。 しかし、その前に鎌倉前期の亥子餅を見てみよう。 『年中行事秘抄』(永仁年間 1293- 以前に成立)に、内藏寮クラリョウが天皇の朝餉に進上する、また「或記云」として、蔵人所が鉄臼で搗いて亥子形にし、綿で包んで天皇の寝所の帳の四隅に挿す、また天皇が柳の臼と杵を以って朝餉の間にて舂ツく、ともある。 『厨事類記』(1295頃)に、餅五種(白、赤、黄、栗、胡麻)は角折敷1枚にのせ、小さな角の外居ホカイに掻敷を敷いて入れる、色々な粉を角小折敷1枚に据え、小さな外居(掻敷を敷いて)に入れる、臼杵一具を折敷に据える、とある(栗は、栗の粉を搗き混ぜた「栗粉餅」であろう)。 江戸初期のように紙で厳イツクしく重ねておらず、「御厳重ゲンジュウ」と云う語は出て来ない。 その後の時代による変遷は省略、300年余り後、江戸初期の『後水尾院當時年中行事』は「玄猪包」がなされる「御厳重」について詳しい。 朝、天皇に供せられ、息を吹きかけた餅を下賜する(『古今要覽稿』1821 では、それ故に喰いさしの意「御成切ナリキリ(ナレギリ)」「御まいり切」の別称があると云う)。 身分により異なる紙(大高檀紙・小高檀紙・杉原紙)で包んで、小さな角型の折敷にのせ、水引で結ぶ(『禁中近代年中行事』は引合紙・大奉書・杉原紙)。 包みの中には、一の亥は菊としのぶ、ニの亥は紅葉としのぶ、三の亥は鴨脚イチョウとしのぶを入れる。 また、鴨脚の葉に下賜する人の名を書いて、包み紙に差し挟む。 (仁清の香合は、これを模す。鴨脚なので三の亥と聞くことがあるが、間違えである。全ての日の包みに銀杏を挟む)。 ![]() 餅の形は、『後水尾院當時年中行事』には具体的にはないが、指で弾いているので、小さく丸いのだろう。 それは、『貞丈雜記』(1843 刊、伊勢貞丈サダタケ著)に「碁石形」、『年中恒例記』(1540頃、広橋兼秀著)に「きんとんの様なる餅」(金団:砂糖を包んだ小さく丸い団子)でも確認できる。 以下、能勢より献上される能勢餅、衞士が献上する餅、つくゝゝの作法、夕の供御の御厳重の盃事などが続き、非常に興味深いが長くなるので省略する。 『鹽尻 巻九十』(天野信景著、1697頃-1733執筆)に、天皇が「神無月しぐれの雨のあしごとに わがおもふ事かなへつくゝゝ」の歌を誦すとある。 興味のある方のため、『年中行事秘抄』『後水尾院當時年中行事』の原文を載せておく。 (つゞく 「玄猪4 幕府」、参照 「子の子ネノコの子餅」) ※ '13.8.9以前の記事はGoogle Chromeでは画像や文字がずれますので、 Interneto Explorerでご覧ください。 (f Likeはフェイスブックに登録の方のみ反映) 両方のclick! ありがとう。 → ![]()
by ryokusuian
| 2012-11-16 06:35
| お茶全般(茶道)
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