(つゞき 「
玄猪1」)
亥の月・亥の日に餅を食すのは中国の風習と、漢籍『雜五行書』を引いて、『下學集』
(1444)、『節用集』
(1476頃)などで説く。
この日に餅を食すと病気にならない、また豕(中国の猪は豚)は子だくさん故に祝うと云う。
『増補下學集 巻下二』飲食門 第十二
文安1年 1444成立、東麓破衲編、山脇道円増補
(寛文9年 1669開版、長尾平兵衛版元)
豕子(
イノコ)
雜五行書云、十月豕日食
(クラヘハ)レ餠、令
二レ人無
一レ病、又一説云
豕
能生二多子一、故女人羨
レ之、至
二十月豕日
一献
レ餅
レ祝
レ之也、愚
(ク)謂
(ヲモヘラク)
十月亦豕月故用
レ之、此月此日也、豕毎年産
二十二子
一、象
(カタトル)二一年十二月
一、閏年則十三子産也、豕與
(ト)レ猪亥相通而用
レ之者也、
『節用集』はほとんど同じ内容なので省くが、これには以下が加わる。
又見于
二太平御覧餅部
一也矣。
『太平御覧』
(太平興国2年 977、李昉撰)は宋の類書で、ここでも『雜五行書』を引く。
余談ながら、3日前(11日)のNHK大河「清盛」で、清盛が日宋貿易で『太平御覧』を手に入れ、孫の東宮言仁親王(後の安徳天皇)に献上していた。
『錦繍萬花谷』
(1188、南宋の類書)、『月令廣義』
(明の万暦年間 1573~1620、年中行事の書)でも、『雜五行書』を典拠とする(『日本歳時記』
1688、貝原好古著)。
亥の子餅で重要、別の事でも頻繁に出てくる『雜五行書』 … なのに、改めて調べると成立年代などが分らなかった。
また、『齊民要術』
(532-549頃、北魏の農書)に「十月亥日、食
レ餅令
二人無
一レ病」とあると、『年中行事秘抄』
(鎌倉前期)が引く。
現在の中国でも、亥の月・亥の日に餅を供す風習は残るのだろうか。
追記 一昨日は「玄猪1」と変えて、餅に胡麻を混ぜ込んでみた。
原材料:砂糖・小豆・餅粉・白胡麻・黒胡麻
(つゞく 「
玄猪3 宮中」)
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