栗の粉餅は、室町時代からある菓子で、江戸時代は京(「その2」)の外、駿河国岩渕(現富士市岩淵)の名物(「
栗の粉餅3」)であったようだ。
『日本国語大辞典』(小学館)では、以下の如く。
くりのこもち 栗粉餅(栗子餅) 栗の実の粉
を入れて作った餠。また、栗の粉をまぶした
餠。
重陽の節句に用いたという。くりこもち。
くりこのもち。
(緑水庵註:『日葡辞書』では、Curicono mochi)
現在、栗の産地の岐阜や丹波(京都)などでは、「栗粉餅
クリコモチ(クリノコモチ)」「栗餅」として、黄な粉餅様
ヨウ(餅に粉状の栗をまぶす)、あんころ餅様(餅を栗餡でくるむ)、きんとん様(餅に栗餡のそぼろをつける)など、幾つかの形で作られている。
また、虎屋製「
栗粉餅クリコモチ」は上生菓子のきんとんに変え、御膳餡を求肥で包み、その周りに裏漉した栗と白餡を混ぜた栗餡のそぼろを付けている。
今日は旧暦の
重陽の節供なので、栗の粉餅を作った。
重陽の節句は、「菊の節句」「栗の節句」とも云い、菊酒・栗飯の外、栗の粉餅が供されることがあった。
幾つかの文献(
参照 「栗の粉餅2」)から、古えは黄な粉餅様と思われるが、今回はあんころ餅様にした。
重陽に供すのは収穫を祝う外、黄菊 ➝ 栗の黄色の連想であろうが、菊 ➝ 黄金 ➝ 栗のように間に黄金が入るようにも思われる(
参照 「
黄金草(金草)コガネグサ」)。
そう仮定すると、黄な粉様は金粉、あんころ餅様は黄金の小判に擬しているようだ。
原材料:栗・砂糖・餅粉
(つゞく 「
栗の粉餅2」)
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