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2012年 09月 21日
(つゞき 「菊7 菊花香」)
『日本紀略』の醍醐天皇、昌泰二年に、 九日庚子。天皇御ス南殿ニ、賜フ重陽ノ宴ヲ、 題ニ云ハク、菊ハ散ズト一叢ノ金 (緑水庵が送り仮名を附した) とあるのは、唐太宗作「秋日二首(二)」に基づく。 露凝千片玉、菊散一叢金 昌泰二年の重陽の宴で詩題「菊散一叢金」で三善清行(善相公)が作ったのが、『和漢朗詠集』所収の「酈縣村閭皆潤屋、陶家兒子不垂堂」である(参照 「菊7」)。 さて、この詩について、『江談抄』第四に以下のようにある。 善相公初作酈県村閭皆富貨云々。心存可有褒誉之由、而管家、只美紀納言長谷雄 廉士路裏句、不被感此詩。宴罷退出時、相公不散欝結、於建春門見尋管家。 仰云、富貨字恨不作潤屋。相公乃改作、云々 すなわち、菅原道真(55歳)は紀長谷雄(55歳)の詩「廉士路中疑不捨、道家煙裏誤應燒」を褒め称える一方、清行(53歳)のにはひとこともなく、清行は不興に感じる。 帰路、清行は道真に尋ね、その助言を受け入れ、初め詠じていた「酈県村閭皆富貨」の「富貨」を「潤屋」に改めたというのである。 清行と道真、二人の間には曰く因縁がある。 三人の間とも云えるかも知れない、道真と長谷雄は師弟でもあり信頼で結ばれているが、清行と長谷雄は「三善清行の宰相と紀長谷雄と口論の語(『今昔物語集』第24巻、本朝付世俗、第25話)」にあるように不仲。 元慶5年(881) 清行は方略試を受けるが問題博士であった道真に不第とされ、後にこと あるごとに道真と対立 7年(883) 清行37歳で方略式に及第(道真は26歳で合格) 昌泰1年(898) 道真を重用した宇多帝は譲位、道真は藤原時平と対立し朝廷内で孤立 2年(899) 上記「重陽の宴」 3年(900) 清行の引退勧告を道真は退ける 4年(901) 時平の讒言により道真は大宰権帥に左遷(昌泰の変) 清行が道真の嫡男高視の失脚で後任の大学頭に就いたことから、清行 の政変への関与も指摘されている 延喜年間のある時(長谷雄没までなので901-922) 清行と長谷雄が口論 清行は重陽の宴の詩句を改め、道真に面子を潰されたわけで、そこに、賈島カトウと韓愈カンユの「推敲」に見える、互いを尊重する高い精神性はない。 「菊」を詠むという雅な行為の中に、方略式以来の根深い遺恨が見え隠れする。 また、「菊花香」で清行の詩と道真の孫文時の「蘭蕙苑嵐摧紫後、蓬莱洞月照霜中」が引かれているのには、特に思わくはないと思いながらも因縁めいて見える。 参考文献 『和漢朗詠集新釋』(明治書院) 『和漢朗詠集』(新編日本古典文学全集19、小学館) 『今昔物語3』(新編日本古典文学全集37、小学館) (つゞく 「菊9 菊水」) (f Likeはフェイスブックに登録の方のみ反映) 両方のclick! ありがとう。 →
by ryokusuian
| 2012-09-21 07:58
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