「置筒」は窓を吹き抜きに開けた花入で、別称「吹貫
フキヌキ」、庸軒の創意と云う。
藤村庸軒
慶長18年-元禄12年(1613-1699)。
屋号は十二屋、名は源兵衛、政直・当直・微翁・反古庵。
宗旦四天王の一人。
宗旦の娘(くれ)の婿(久田宗利)の弟で、藤村家に入る。
『茶話指月集』(藤村庸軒著、久須見疎安筆録・編集)冒頭に、以下のようにある。
今、宗旦ヨリ利休ノ䑓子直傳ハ、藤村庸軒一人存命ノ由、此人若
ワカカリシ時、古織ヲ
學ヒ、遠州公ニ親炙ス、強年ニ及ンテ千家ノ蘊奥ヲ探リ、齢八十ヲ過テ、一日モ爐火
ヲ斷サス、加之
シカノミナラス、平日書ヲ讀ミ詩ヲ題スル事ヲ好ム、暇アル時ハ茶匙
ヒ・
竹筒ヲ製テ俗事ニ渉ラス、門流甚タ多シ、
(『茶道古典全集』第十巻、淡交社)
置筒の嚆矢は「遅馬
オソウマ」と伝わるが、庸軒の縁語による銘は洒落ていると云おうか駄洒落と云おうか、以下のような銘がある。
「遅馬」 駆けられぬから掛けられぬ (堅田の北村幽庵に招かれた折、近江で作る)
「露」 露を置くという縁語
「秋露」 〃
「秋扇」 扇を置く (能「
斑女」を連想する)
「白菊」 霜を置く
「心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花」
(古今集、凡河内躬恒)
「白鷺」 飛ぶ姿より立ち姿が美しい
(参考 竹花入の薄板は画像の丸高台、または
木地蛤端ハマグリバ)
(つゞく 「
置筒2」)
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