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2012年 05月 13日
先日の茶事教室は端午の節供の趣向で、待合に大亀老師筆短冊を掛けた。
額田女皇哥 茜さす紫野ゆき〆のゆき 野守はみづや君が袖ふる 事前に亭主役Sさんと打ち合わせすると、Sさんは大亀老師が京都紫野ムラサキノ大徳寺におられた方なので、歌の紫野と混同されていた。 勿論、老師がこの歌を書かれる時に、自らの住まいする紫野を意識なさったであろうことは考えられるが。 そういえば、これまで京都紫野の地名の由来について考え たことがなかった。 まずは、人口に膾炙している額田王と大海人皇子との相聞歌から。 天皇テンワウの蒲生野ガマフノに遊猟イウレフしたまひし時に、額田王の作りし歌 あかねさす紫野ゆき標野シメノゆき野守は見ずや君が袖ふる 皇太子の答へし御歌 明日香宮に宇御アメノシタヲサめたまひし天皇スメラミコト諡 オクリナして天武天皇と曰ふ 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我アレ恋ひめやも 紀に曰く、「天皇テンワウ七年丁卯の夏五月五日、蒲生野に縦猟ショウレフしたま ふ。時に、大皇弟ダイクワウテイ諸王シヨワウ内臣と群臣と、皆悉く従ひき」といふ。 <注釈>(略)左注によれば、この日の「遊猟(天皇の行う儀礼の一つ)」は、鹿の若角 (「鹿茸ロクジヨウ」)や薬草を採集する五月五日の薬狩であった。(略)「紫野」は、紫 草の生えている野。(略)「むらさき」はムラサキ科の多年草。山野や草原に生える。 その赤色を帯びた根は、薬用、また紫色採取の顔料・染料として重用された。(略) 「標野」は、立ち入り禁止の「標」を張った、狩猟・薬猟の占有地。(略) (『万葉集一』新日本古典文学大系1、岩波書店) 待合は古くは素床、次第にその会で使う道具の添状や、その会の趣向を暗示するものを掛けるようになる。 なお、平安時代には、端午の節句に薬玉を贈る習慣も生まれている。 さて、京の紫野も、天智天皇の御代の近江の紫野同様かと推量したところ、やはり平安遷都直後から狩りをするような紫草の生える禁地であったようである。 紫野の地名は、平安京以前にさかのぼる。『愛宕オタギ群村志』には「古代は大野 郡の内なり。舟岡山東北一帯を紫野と称す。蓋し大内裏の北に在る広き野原にて 御猟また遊覧の地たり」とある。『類聚国史』には、桓武天皇が平安遷都の一年後 の延暦十四年(七九五)十月一日に、ここで猟をしたとあり、『日本後記』にも嵯峨天 皇らが猟を楽しんだのが見える。 紫野は、洛北七野の一つ。栗栖野に続く広獏たる原野が広がり、群生した草花の 野原では、春は都人が若菜摘みや歌詠みを行った。 (略)鎌倉末期に創建された大徳寺が地名をとって「紫野寺」の名で呼ばれ、 (略) (『続 京都の大路小路』千宗室・森谷尅久監修、小学館) 参照 洛北七野:北野、平野、柏野(荻野・栗栖野とも)、蓮台野、紫野(禁野・標野とも) 上野、内野 ←click! (クリックいただくと、ランクアップ) ありがとう。
by ryokusuian
| 2012-05-13 06:25
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