(つゞき
その7)
近江孤篷庵は、京都大徳寺孤篷庵と同じく江雲を開山とし、小堀家2代宗慶が遠州や家臣の修禅および菩提道場として承応2年(1653)建立した小堀家菩提寺。
ところが、江戸後期に小堀家改易で衰退、明治維新後は無住となり、昭和13年に再建されるまで荒
廃していたという。
京都孤篷庵のように見るべき茶室などがあるわけではないが、山懐にいだかれた仙郷といった趣き、伺う価値は充分ある。
それにも増して良かったのは、お寺の奥様と、雪の残る庭(滋賀県史跡名勝指定)に面した春の陽射の降りそそぐ縁側で1時間ほどの穏やかな時間を過ごしたこと。
京都孤篷庵から先代がいらして再建したこと、檀家がないので先代も現住職も他の職業を持っていたこと、里の人々の協力があったことなどなど、温かい笑みとお話をいただいた。
近江の道路や町が総じて綺麗に整備されたのは、ここ10年くらいのことかと思っていたが、2-3年の間の目まぐるしい開発であるようだ。
もともと町である長浜や近江八幡の観光化は然もありなんと思われたが、大月や浅井など里の近代化は井上靖や白洲正子が訪れたころとは隔世の感を持った。
それでも、あくまで私の印象だが、里人の本心は観光化は町が生き残るために致し方がない術と思いながらも戸惑いを感じている如くに見えた。
かつてと変わらず外部に対しては若干閉鎖的で、信仰心篤く朴訥で穏やかな人々、観光客である私の勝手な言い分であるのは重々承知だが、いつまでもそうであって欲しいと思う。
参照
遠州:小堀政一 (道号法諱)大有宗甫 (庵号)孤篷庵 1579-1647(69歳)
宗慶:小堀正之(遠州42歳の時の息、母は側室光輪院) 1620-1674(55歳)
江雲宗龍:(遠州21歳の時の息) 1599-1679( 81歳)
江月宗玩法嗣、崇福寺住寺、大徳寺184世、江戸東海寺輪番
(諡号)円慧霊通禅師 (号)任運子・ノヘ子
ベツボツシ・罔両子
モウリョウシなど
~遠州の長男と聞くが、生母の身分が低いので江月に預けたのだろうか。
一説に猶子(甥)とも云う。
(つゞく その9)
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