本日、十三夜、後の月である。
今空を見上げると美しく、今年は十五夜(9月12日)も十三夜も雲のかからない月となった。
さて、子供の頃に月では兎が餅を搗いていると聞くが、大人になりインドの仏教説話(「ジャータカ」)の黒焦げ兎を知った。
天寿国繍帳部分(中宮寺蔵) 茶を学び、中国の姮娥
コウガ(常娥
ジョウガ)が蟾蜍ンジョ(ひきがえる)になる話、仙薬を搗く二羽の兎、五百丈の桂(金木犀)などを知った。
欧米では、月に何が住むのだろうか?
今度、調べてみよう。
ところで、新釈漢文大系34『楚辞』星川清孝著(明治書院)の語釈をみると、古代中国では蛤があるとも考えていたらしい。
『楚辞』三 天門 第一段の詩(一部)
夜光何德 死則又育 夜光何の德ぞ、死すれば則ち又育す。
厥利維何 而顧菟在腹 厥
ソの利維
コれ何ぞ、而して顧菟
コト腹に在り。
(通釈)
月には何の德があるのか。死んではまた生まれる。
何の宜
ヨい事があって、顧菟
コト(うさぎ)は月の中にいるのだろう。
(語釈)
顧菟在腹 顧菟はふり返り見る形状の兎。また兎の名ともいう。
張衡の「霊憲」に「月は陰精の宗、積みて獣となり、兎
蛤(うさぎとはまぐり)に象る。」
とある。
傳元の「擬天問」に「月中何か有る。白兎薬を搗く。」とあり、「古怨歌」に「煢煢
ケイケイ
たる白兎、東に走り西に顧る。」とある。
『五経正義』に「月中に兎有り、蟾蜍
センジョ有るは何ぞ。月の陰なり。」とある。蟾蜍は
ひきがえる。
漢代の瓦当の文様に、この二者が同居している図がある。
聞一多
(緑水庵註:ブンイッタ 1899-1946 中国の詩人・文学者)は顧菟を
蛤・科斗
(緑水庵註:オタマ
ジャクシ)であり、すなわち蟾蜍のことであると論証している(『天問釈天』)。
月が不死であるのは、霊德があると信じ、その月中に兎がいるのも、兎に宜しい所が
あってのことと思われていたのであろう。そのことを月に関連させて問うのである。
予告 今日は「寒露」でもあり、次は「蛤つながり」で「
雀入大水為蛤」を書く。
参照 「
小芋(仲秋の名月 '11)」「
山づと(十三夜 '11)」「
伊夜比古玉兎(仲秋の名月 '12)」「
玉兎」「
栗と枝豆(十三夜 '12)」「
西湖 '12」「
衣被(仲秋の名月 '13)」「
月見団子いろいろ」
年毎の月見 「
仲秋の名月 '07」「
同 '10」「
十三夜 '10」「
仲秋の名月 '13」「
十三夜 '13」「
仲秋の名月 '14」「
同 '15」
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