
「
藤の花1」で出てきた「よりみづ」「白糸」の名称が一般的でなくなったのに比べ、「しんこ(糝粉・新粉)餅」は今も健在である。
しかし、子供のころ(現在46歳)、横浜に「しんこ」がなかったのか、いや多分あったと思うが食べたことがなかった(今では考えられないが、子供時分はあんこが苦手で和菓子はほとんど食べなかった)。
ということで、京都に住んでから(22歳から6年間)しか食べたことがない。
山ばな双鳩堂の「鳩餅」(鳩の形のしんこ)、鳥居本の平野屋さんでは鮎だけでなく「しんこ」も食べた(「鳩餅」は三宅八幡茶屋の方が有名かも知れないが大手メーカー製なので食べていない)。
また先日、茶の稽古の時に「しんこ」の話題になり(私がしたのだったかしら?)、Kさんは南座に行ったら必ず横の祗園饅頭で召し上がるそうだ。
他にも八勘さんや畑野軒さんなど「お餅屋はん」「おまん屋はん」など、どこにでもある庶民のおやつである。
しかし、正直云うと、茶の稽古で毎日1個以上は上生菓子を食べていたので、日々のおやつに和菓子を買う習慣がなく、しんこも数えるほどしか食べていない。
さて、今では褻
ケの菓子である「しんこ」だが、本を正すと晴
ハレの索餅が起源、神饌の流れと云えよう。
双鳩堂は三宅八幡宮近く、平野屋は鳥居本の名が示す通り愛宕神社の門前茶屋、祗園饅頭もそのまま祗園さんの近くである。
神饌が若干形を変え、参道の茶屋で参拝客に振る舞われたのだろう。
(つゞく 「
しんこ餅2」)

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