椿餅は2月頃の菓子で、蒸した道明寺粉で漉し餡を包み、二枚の椿の葉で挟む。
今日の茶の湯の稽古のためオーソドックスな漉し餡(右・葉が中表)、
肉桂入り道明寺粉に胡桃入り白餡(左・葉が外表)、と2種類作ってみた。
『宇津保物語』や『源氏物語』にも登場する古い菓子で、『河海
カカイ抄』に「椿の葉を合はせ、餠の粉
にあまつらをかけて包みたる物なり」とあり、平安
時代には乾飯
ホシイイに
甘葛をかけたものだ。
乾飯は今の道明寺粉に近い。
乾飯は『伊勢物語』9段東下り「(かきつばたの歌)、とよめりければ、皆人乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり」、また甘葛は『枕草子』39段「あてなるもの (中略)
削り氷けづりひにあまづらいれて、あたらしき金椀
(緑水庵註:鋺)カナマリにいれたる」を思い出す。
『宇津保物語』国譲上、3月28日のこと。
かかるほどに、大殿の御方より、檜破子
ヒワリゴ、御酒
ミキ、
椿餅ツバイモチヒなど奉りた
まへり。左の大殿よりは、梨、柑子、橘、苞巻
アラマキなどあり。
(檜破子:檜の薄板で作った食物を入れて携行する容器)
『源氏物語』若菜上、3月の夕暮れ、光源氏の六条院で催された蹴鞠の後の酒宴で饗されている。
次々の殿上人は、簀子にわらうだ召して、わざとなく、
椿ツバイもちゐ、梨、柑子やう
の物ども、さまゞゝに箱の蓋どもにとりまぜつゝあるを、若き人々そぼれ取り食ふ。
『宇津保』『源氏』で、椿餅とともに梨や柑子が出るのは偶然なのか必然なのか、秋の果物なので生は考えにくく、「やうのもの(のようなもの)」とは?
『小右記』では寛弘二年(1005)三月二二日
椿餠、粽等送僧正房
『江家次第』では、元日宴會なので1月のことである。
其前立
二朱漆臺盤五脚
一辨
二備饗饌
一、(中略)、其饌物者以
二七寸朱漆盤
一、
盛
二菓子
一、毎
二四尺臺盤
一六坏、八尺臺盤十二坏、其菓加久繩、
一坏餲餬、
黏臍各
一坏、大柑子、
一坏甘栗、
一坏干柿、
一坏椿餅、
一坏或依當時所在、
(加久繩
カクナワ・餲餬
カッコ・黏臍
テンサイ:いづれも唐菓子)
参考文献 『古事類苑』『日本国語大辞典(小学館)』
(つゞく 「
椿餅2」)
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