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北海道立函館美術館 長谷川潾二郎展」では煩瑣になるので書かなかったが、展覧会と図録『長谷川潾二郎画文集 静かな奇譚(求龍堂)』によって、 長谷川四兄弟に興味を持った。
私は、大学生から20代後半までは映画(洋画も邦画も)を良く見ていて(今は全く見ない)、特に京都に住んでいた6年間は日本映画を相当数観た。
それというのも、京都文化博物館の会員になると毎日日本映画を無料で鑑賞できるからで、多い時は1週間に5~6本観ていた。
山中貞雄監督・大河内傳次郎主演の『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』も、そのころ観た映画。
「丹下左膳」の作者林不忘は、ペンネーム(外に牧逸馬・谷譲次)で長谷川四兄弟の長男海太郎のことだったようだ。
次男潾二郎は画家・小説家、三男濬
シュンはロシア文学者・小説家・詩人、四男四郎も小説家・詩人・翻訳・劇作家で、恥かしながら3人とも知らなかった。
「長谷川潾二郎展」では、四郎の詩や絵も展示されていて、モノトーンの絵はエコール・ド・パリを連想させる。
四兄弟の文芸の基盤は、両親や友人達のようだ。
父清(後に淑夫
ヨシオと改名・号世民)が函館新聞の社長兼主筆で反骨のジャーナリスト、母由紀も歌人として著名。
恥かしながら知らないが、幼馴染の久生十蘭(本名阿部正雄、小説家・演出家)も大きな影響を与えた、とのこと。
当然だが、幾つになっても知らないことがたくさんあって、楽しい。
「丹下左膳」の原作も含め、四兄弟の文芸作品を少し読んでみたい。
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