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2012年 05月 17日
24-26年度の茶事教室は小習を入れて計画している。25年度は亭主役それぞれに希望をお聞きした。 5月10日は茶筅荘(右)、9月は茶碗荘、11月は盆香合、25年3月は薄茶の荘物(準備中に香)の予定。 25・26年度は当方で計画、以下の通り。 25年度は花所望(順不同)。 ・花が到来➝花の数に注意 ・花入の名品を入手➝花の数・入れ方に注意 ・薄茶の荘物の準備をするため ・荒天で中立ができないため➝床は諸荘 水指:道光年製呉須菱馬(水指に由緒) 茶碗:9代長左衛門造 26年度は炭所望(順不同)。 ・風炉~客に炭巧者➝後炭に工夫 ・風炉~薄茶の荘物を別席にて ・炉の初炭~正客より頂戴した道具 ・炉の後炭~名品の披露 会費 18000円 正午茶事(臨時参加はお問い合わせください) 亭主・半東・料理は会員が担当、臨時参加は客のみ(客5人まで) 募集 茶事教室会員(入会随時)・臨時参加とも。 ◇お問合・お申込は、メールまたは電話にて 2012年 05月 14日
先日の茶事教室の干菓子は、太市製(目黒区)を使った。赤い千代結びになっているのは、雲平(生砂糖とも)の「茜襷」。 『茶摘み』(文部省唱歌) 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか あかねだすきに菅の笠 ネット検索すると、茜襷は止血効果のある茜草(薬草)で染めているので、茶摘みをして傷ついた指先に茜草の成分をすりこむという先人の知恵だそうだ。 真実そのような意から茜で染めているかは知らないし、赤い色に神事的な意味合いも感じられ、いずれ調べるように気にかけておこう。 「茜襷に菅の笠」と云うと、早乙女も同様である。 参考までに、今年の八十八夜は5月1日。 2012年 05月 13日
先日の茶事教室は端午の節供の趣向で、待合に大亀老師筆短冊を掛けた。額田女皇哥 茜さす紫野ゆき〆のゆき 野守はみづや君が袖ふる 事前に亭主役Sさんと打ち合わせすると、Sさんは大亀老師が京都紫野ムラサキノ大徳寺におられた方なので、歌の紫野と混同されていた。 勿論、老師がこの歌を書かれる時に、自らの住まいする紫野を意識なさったであろうことは考えられるが。 そういえば、これまで京都紫野の地名の由来について考え たことがなかった。 まずは、人口に膾炙している額田王と大海人皇子との相聞歌から。 天皇テンワウの蒲生野ガマフノに遊猟イウレフしたまひし時に、額田王の作りし歌 あかねさす紫野ゆき標野シメノゆき野守は見ずや君が袖ふる 皇太子の答へし御歌 明日香宮に宇御アメノシタヲサめたまひし天皇スメラミコト諡 オクリナして天武天皇と曰ふ 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我アレ恋ひめやも 紀に曰く、「天皇テンワウ七年丁卯の夏五月五日、蒲生野に縦猟ショウレフしたま ふ。時に、大皇弟ダイクワウテイ諸王シヨワウ内臣と群臣と、皆悉く従ひき」といふ。 <注釈>(略)左注によれば、この日の「遊猟(天皇の行う儀礼の一つ)」は、鹿の若角 (「鹿茸ロクジヨウ」)や薬草を採集する五月五日の薬狩であった。(略)「紫野」は、紫 草の生えている野。(略)「むらさき」はムラサキ科の多年草。山野や草原に生える。 その赤色を帯びた根は、薬用、また紫色採取の顔料・染料として重用された。(略) 「標野」は、立ち入り禁止の「標」を張った、狩猟・薬猟の占有地。(略) (『万葉集一』新日本古典文学大系1、岩波書店) 待合は古くは素床、次第にその会で使う道具の添状や、その会の趣向を暗示するものを掛けるようになる。 なお、平安時代には、端午の節句に薬玉を贈る習慣も生まれている。 さて、京の紫野も、天智天皇の御代の近江の紫野同様かと推量したところ、やはり平安遷都直後から狩りをするような紫草の生える禁地であったようである。 紫野の地名は、平安京以前にさかのぼる。『愛宕オタギ群村志』には「古代は大野 郡の内なり。舟岡山東北一帯を紫野と称す。蓋し大内裏の北に在る広き野原にて 御猟また遊覧の地たり」とある。『類聚国史』には、桓武天皇が平安遷都の一年後 の延暦十四年(七九五)十月一日に、ここで猟をしたとあり、『日本後記』にも嵯峨天 皇らが猟を楽しんだのが見える。 紫野は、洛北七野の一つ。栗栖野に続く広獏たる原野が広がり、群生した草花の 野原では、春は都人が若菜摘みや歌詠みを行った。 (略)鎌倉末期に創建された大徳寺が地名をとって「紫野寺」の名で呼ばれ、 (略) (『続 京都の大路小路』千宗室・森谷尅久監修、小学館) 参照 洛北七野:北野、平野、柏野(荻野・栗栖野とも)、蓮台野、紫野(禁野・標野とも) 上野、内野 2012年 04月 10日
2012年 04月 10日
2012年 04月 10日
内容 初級~二文字押切・丸灰押切二文字掻上・丸灰掻上・火入灰 中級~遠山(本勝手・逆勝手・二つ山) 向山・向一文字前谷 会費 (5回で) 会員 15,000円 一般 25,000円 持物 灰匙(購入希望者は事前にお申し出を) 日時 A組 ①4月29日(日) ②30日(月・休) ③5月3日(木・休) ④4日(金・休) ⑤5日(土・休) 午前10時より正午 B組 ①5月6日 ②13日 ③20日 ④6月3日 ⑤10日 (日曜) 午後1時より3時 C組 ①5月7日 ②14日 ③21日 ④6月4日 ⑤11日(月曜) 午前10時より正午 定員 各組とも3名まで 問合・申込 メールまたは電話にて 2012年 04月 10日
稽古「茶の湯」では、年2回、炉風炉の入替を稽古として行っていますが、水屋の仕事を学ぶ機会がないという方のため、人数に空きのある場合は参加を受け付けます。今回は炉から風炉ですので、炉壇の灰をあげ、夏の湿灰つくりが行えるように手入れをします。 風炉には和紙・底土器カワラケ・灰・五徳・前土器を入れ、釜合せをしますので、「灰形教室(初・中級)」と合わせますと風炉の準備が学べます。 その他の道具も説明をしながら、入れ替えます。 日時 4月15日(日) 午前9時(3時間くらい) 担当 日曜組・月曜組合同 会費 稽古「茶の湯」の会員 無料 / 会員 5000円 / 一般 6000円 申込 メールまたは電話にて 2012年 04月 04日
(つゞき その7)近江孤篷庵は、京都大徳寺孤篷庵と同じく江雲を開山とし、小堀家2代宗慶が遠州や家臣の修禅および菩提道場として承応2年(1653)建立した小堀家菩提寺。 ところが、江戸後期に小堀家改易で衰退、明治維新後は無住となり、昭和13年に再建されるまで荒 廃していたという。 京都孤篷庵のように見るべき茶室などがあるわけではないが、山懐にいだかれた仙郷といった趣き、伺う価値は充分ある。 それにも増して良かったのは、お寺の奥様と、雪の残る庭(滋賀県史跡名勝指定)に面した春の陽射の降りそそぐ縁側で1時間ほどの穏やかな時間を過ごしたこと。 京都孤篷庵から先代がいらして再建したこと、檀家がないので先代も現住職も他の職業を持っていたこと、里の人々の協力があったことなどなど、温かい笑みとお話をいただいた。 近江の道路や町が総じて綺麗に整備されたのは、ここ10年くらいのことかと思っていたが、2-3年の間の目まぐるしい開発であるようだ。 もともと町である長浜や近江八幡の観光化は然もありなんと思われたが、大月や浅井など里の近代化は井上靖や白洲正子が訪れたころとは隔世の感を持った。 それでも、あくまで私の印象だが、里人の本心は観光化は町が生き残るために致し方がない術と思いながらも戸惑いを感じている如くに見えた。 かつてと変わらず外部に対しては若干閉鎖的で、信仰心篤く朴訥で穏やかな人々、観光客である私の勝手な言い分であるのは重々承知だが、いつまでもそうであって欲しいと思う。 参照 遠州:小堀政一 (道号法諱)大有宗甫 (庵号)孤篷庵 1579-1647(69歳) 宗慶:小堀正之(遠州42歳の時の息、母は側室光輪院) 1620-1674(55歳) 江雲宗龍:(遠州21歳の時の息) 1599-1679( 81歳) 江月宗玩法嗣、崇福寺住寺、大徳寺184世、江戸東海寺輪番 (諡号)円慧霊通禅師 (号)任運子・ノヘ子ベツボツシ・罔両子モウリョウシなど ~遠州の長男と聞くが、生母の身分が低いので江月に預けたのだろうか。 一説に猶子(甥)とも云う。 (つゞく その9) 2012年 02月 21日
(つゞき その1)梅の別称・異名は、中国由来のものと日本で生まれたものとがあり、数が多い(五十音順)。 参考となりそうな事柄を添えたが、良く判らないものもあるので間違えは御指摘いただきたい。 ・一枝イッシの春 「折花逢驛使 寄與隴頭人 江南無所有 聊贈一枝春(陸凱「贈范曄」)」 ・花魁カカイ(百花魁ヒャッカノサキガケ) 中国のみならず、 「梅花ハ独天下の春ニ先ダッテ開く故 百花魁ト云 花兄トス(貝原益軒『大和本草』)」 ・風見花(香散見草)カザミグサ 「香散見草 梅 (略) 山里の軒端に咲けるかざみぐさ 色をも香をも誰れ見はやさん (『蔵玉集』)」 ・風待草カゼマチグサ 「異名 (略) 匂草 梅 風待草 同(『蔵玉集』)」 ・香栄草カバエグサ(コウバエグサ) 「香はへ草 是も異名也。み山にはみ雪ふるらし難波人 うら風しほるかはへ草かな (『藻塩草』九・梅)」 ・玉骨ギョッコツ (『節用集』) ・朽木クチキ 単に朽ちた木の印象からか、もしくは地名(滋賀県の朽木クツキが著名だが?)からか? 「古寺の朽木の梅も春雨に そぼちて花ぞほころびにける(源実朝『金槐和歌集』)」 ・香雪 「梅雪争春未肯降 騒人閣筆費平章 梅須遜雪三分白 雪却輸梅一段香(盧梅坡)」 「一枝梅花和雪香(『禅林句集』)」 「花の色は雪にまじりて見えずとも 香をだににほへ人の知るべく(小野篁『古今集』)」 「梅の香のふりおける雪にまがひせば たれかことごとわきて折らまし(貫之『古今集』)」 ・好文木コウブンボク 中国、晉の武帝が学問に励んでいる時は梅の花が開き、学問を怠る時は散りしおれ ていた「晉起居注」に見えたといわれる故事 「唐の帝のおん時は、国に文学盛んなれば、花の色を増し、匂い常より勝りたり、文 学廃れば匂ひもなく、その色も深からず、さてこそ文を好む、木なりけりとて梅をば、 好文木とは付けられたれ(謡曲『老松』)」 「梅云好文木 故事在晉起居注 晉武好文則梅開 廃学則梅不開(人見壹『東見記』)」 参考文献 『日本国語大辞典』(小学館)、他 (つゞく その3) 2012年 02月 10日
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