「
女性の香人」で書いた西山宗居女史について、茶友Oさんが資料を送ってくださった。
「三徳庵 田中仙樵全集 第八巻」に所載される「西山先生を憶ふ」「藤井景保氏を追慕す」で、Oさんは大日本茶道学会の門人である。
それに書かれていることをいくつか箇条書きする(敬称略)。
但し、()内は庵主の補足、殊に香語のおおまかな意味について訂正を請う。
神戸出身、生涯独身を通す、昭和22年12月22日没
英語、漢籍、和歌、源氏物語、能楽などに通ず
仙樵に藤井景保(岡山県の旧家で久田家を後援、追善茶会には一流茶人が掛釜し、香は仙樵と長ゆきが担当するほどの人物)を紹介する
茶道 裏千家圓能斎(13代千宗室)
又玅斎(12代)夫人眞精院(11代玄々斎息女猶鹿子)に師事
香道 志野流蜂屋宗致(18代頑魯庵)に師事
仙樵が師事
(東京の志野流女流香人として名高い長ゆき・坂寄せつ等が師事)
禅学 神戸時代は曹洞宗
のちに円覚寺管長堯道(姓古川、釋宗演の法嗣)に参禅(臨済宗)
いくつかの公案も透過
葬儀には円覚寺管長朝比奈別峰(宗源)より香語を呈される
自紅庵素心宗居大姉秉炬
任運随縁西又東 (運に任せ縁に随い、西へ東へ)
何居家舎與途中 (何ぞ居らん、家舎と途中)
八旬不昧素心體 (その80年は道理に明るく、聡明、無慾、素心の体
テイ)
柴自青々花自紅 (柴は自ずから青々として、花は自ずから紅)
「西山先生を憶ふ」は以下のようにしめられているが、仙樵翁にしてこう云わしめるとは。
先生の如き偉人は、予の知る限りでは空前で、恐らく絶後であろう。
先生は、予に取って最後の師であり、良友であった。
今先生の永眠に逢い、壕舎転
ウタた寂莫を感ず。
人気Ranking ←click! (クリックいただくと、ランクアップ) ありがとう。