京都に住んでいた時に、
生田流の
三絃(三味線)を習っていた。
文楽の三味線に好きな方があって、三味線を習いたいと思ったのだが、さすがに
太棹は無理であろうし、女に似合わないとも思った。
知人に、三味線の先生を紹介して欲しいと頼むと、何がいいかと聞かれた。
「何って、何?」
私は清元、常磐津、長唄、小唄、端唄、うた沢などの区別がついていなかった。
よくわからないと申し上げたら、「お嬢さん( … その頃は)には、
地唄がいいでしょう」ということであったが、この方は
京舞で有名なおうちのご一族であるから、地唄を勧められたのは順当なのだろう。
さて、稽古場は、祇園の
ろうじの奥まったところにある
二軒長屋で、なんとも風情があり、
お仕込みさん(多分?尋ねていないのだが、そう思ったほうが楽しい)らも来ていた。
きもので、お三絃を抱えて、お稽古場に通うと、溝口の「祇園の姉妹」に入り込んだように思われ、ひとり悦に入り愉しんでいた。
あぁ、なんて自己陶酔型。
地元横浜に戻った後は、他の先生を紹介していただき続けていたが、事情で辞めてしまったので、京都、横浜と合わせても4年位だろうか、続けていればと少し悔やまれる。
10年振りくらいに、私のお三絃を出してみたら、まぁ当然だろう、皮が破けていた。
胴板をのせ、駒を置いていない画像で申し訳ない。
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