(つゞき 「
動物について考える2 衣料」)
動物をただ可愛いとだけ思えないようになったきっかけは、大学生のころ(80年代後半)TVで見た猿回しの芸だ。
理屈なしに、お猿さんが可哀相と思った。
今は伝統芸能として真っ向否定はしないが、その時はただただ可哀想に思った。
それ以来、動物園(水族館)の動物も可哀想に思われてきた。
疑問を持ってから動物園には4回行き、意識的に可哀想とは思わないように、楽しもうと考えたが、実は抵抗がある。
環境保護や動物愛護に対し意識が高く、知識も豊富な友人に訊ねたことがある。
「動物好きから動物園の飼育員になるかと思うけれど、動物園の動物は不自然を強いられているよね。飼育員はその辺の折り合いをどう云う風につけているのだろう?」
知人は、私の知識レベルに合わせて分かりやすく答えてくれたかと思うが「絶滅危惧種の保護にあたったりするのも仕事なんだよ」
確かに。
ペットやペットショップの一部に疑問がないわけではない。
犬や猫、家畜が人間の都合で品種改良(改良?)が行われてきた歴史を知り、牧羊犬はどうにか理解するが、極端に小型化された犬種には違和感を覚える。
線引きが難しい。
動物は子供の情緒を育てたり、大人にも癒しや潤いを与えるので、動物園やペットショップはそれを提供する任を担っているとは思う。
私は動物好きという訳ではなく、勘違いもあろうし、結論は出ない。
動物を犠牲にした化粧品・衣料について考えたが、動物を飼うについても中庸を捉えるには知識が不可欠だ。
(つゞく 「
動物について考える4 伝統芸術」)
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