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2013年 01月 26日
(つゞき 「真盛豆1」)
菓子屋の甘い真盛豆は、西方尼寺の真盛豆を改良したと云うが、同寺の真盛豆は州浜粉の衣ではなく小麦粉の衣で塩味。 現在でも手作りの真盛豆を御本尊「腰掛阿弥陀如来」に供え、檀信徒もお下がりをいただくと聞く。 見たこともなく、材料(炒った黒豆・小麦粉・塩・大根葉)しか分からないが、『鼎左秘録』の真盛豆(参照 「真盛豆3」)を参考に作ってみると、塩気の衣はかりっとして、豆は少し硬いが美味しい。 ただし、小麦粉衣の表面に大根葉をまぶしたが、今になって小麦粉を混ぜた大根葉の衣にするのではと推測する … ご存じの方にご教示いただきたい。 由緒が、『茶菓子歳時記 10』(鈴木宗康著、淡交社)に載る。 (略)東山時代、空也上人の古徳を慕った真盛上人が、往来の人々に菜の葉で彩った 塩豆を与え、衆生済度の方便とした故事に因み、この豆を真盛豆と言ったと伝える。 真盛上人とは天台真盛宗(本山西教寺)の祖(諡号は円戒国師・慈攝大師、1495寂)で、明応年間(1492-1501)頃、京都北野真盛町の西方尼寺の開祖盛久・盛春両尼に真盛豆を伝授したと伝わる(参照 「金谷正廣」「竹濱義春老舗」)。 天正15年(1587)の北野大茶湯で真盛豆が供され、秀吉が「茶味に適す」と称え、細川幽斎が「苔のむす豆」と例えたと云う。 秀吉の言は口碑なのか文献では確認できなかったが、幽斎のは『醒睡笑』(巻之八 頓作、1626)にある。 青苔ノリ(緑水庵註:原本がノリと訓むか未確認。この時に青海苔か疑問)を煎豆につけたる菓子、 太閤の御前へ出イダしたれば、幽齋法印に向はせ給ひ、「何ナニと何と」とありし時、 「君が代は千代に八千代にさゞれ石のいはほとなりて苔のむすまめ」 余談だが、「筒井筒五つに割れし(欠けし)井戸茶碗 咎をば誰か(我に)おひにけらしな」(『長闇堂記』『源流茶話』)と云い、古今伝授で著名な幽斎だが … 本歌取りというよりパロディーよねぇ。 西方尼寺境内には、北野大茶湯で利休が使用した「利休井戸」や利休手植えの「五色散椿」がある。 さて、『毛吹草』(1638、松江重頼編)には、 猶洛中名物雖レ多レ之、(略)真盛衣大豆(シンセイノコロモマメ) 比丘尼ノ業ナリ 『雍ヨウ州府志』6土産(1686、黒川道祐著、山城国の地誌)に、 炒イリ豆 北野眞盛寺尼炒二黑豆一磨二靑芥(カラシナ)葉一、水解爲二黑豆衣一、(略)、 是稱二眞盛衣豆一、寺尼紙囊盛レ之贈二檀越家一、 既に江戸初期には、西方尼寺の真盛衣豆は京の名物で、それは炒った黒豆に摺った青辛子の葉を水で溶いて衣にしていて、若干辛味がある辛子菜というのが面白く、また小麦粉は使われていない。 『嬉遊笑覽』10上飮食(1830刊、喜多村信節撰)に、 雍州府志に、炒豆は(略)、但今の製大葉芥(オオバガラシ、高菜)の靑粉は用ひず、靑の りを粉にしてかくる、霰を雜へざるは、眞盛寺の本製よりも却て古製なり、 江戸後期には、炒り豆の衣は芥子菜でなく青海苔の粉になっていたようだ。 参考文献 『古事類苑』吉川弘文館 『近世菓子製法書集成 2』平凡社 『長闇堂記』『源流茶話』(『茶道古典全集 第3巻』)淡交社 『醒睡笑』(佛教文庫10)安楽庵策伝著、東方書院 (つゞく 「真盛豆3」) (f Likeはフェイスブックに登録の方のみ反映) 両方のclick! ありがとう。 →
by ryokusuian
| 2013-01-26 01:04
| 和菓子
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