現今の開炉は11月初旬が多い(拙庵も
一昨日)が、往古は亥の月、初めの亥の日とされた。
また、二の亥の日に火鉢や炬燵を使い始める。
武家は一の亥、町家は二の亥に、これらを使い始めるとも聞く。
それは火伏せを意味し、火の陽に対して亥の陰が選ばれ、極陰の日に火を使い始める。
亥の月とは旧暦10月(新暦11月頃)で、亥の日は2回と3回の年があり、今年の一の亥は11月22日、二の亥は12月4日、三の亥はない。
今年は閏月があった(閏3月があり13ヶ月)ので旧暦10月が遅く、江戸時代なら火が待ち遠しくなるところだ。
ところで、宮中では、亥の月・亥の日・亥の刻に、亥の方角に向かい、無病を祈願して
御玄猪オゲンチョ(
亥の子餅)を調進する儀式(
参照 「
玄猪3」)が行われた。
(京都の護王神社で例年11月1日、この儀式の再現「
亥子祭」を見ることができる。)
開炉に
善哉が供されるのは、宮中行事に倣っての亥の子餅(
参照 「
玄猪3」)代わりであろう。
ところで、利休は柚子が色づく頃に口切(茶壺の口を切る)を催したと云う。
巷間で、柚子が色づく頃に開炉、と云われるを耳にするが、それは口切と感違いしているのか、開炉と口切を同じととらえているのか、それともそのような逸話を私が知らないだけか。
利休ハ柚
ユの色つくを見て口切を催し、古織
(緑水庵註:フルオリ、古田織部)は、樅のわか
葉の出る比、風爐の茶湯よしと申されき、
『茶話指月集』(茶道古典全集 第10巻、淡交社)
(
参照 「
開炉2」)
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