(つゞき
円覚寺・建長寺「宝物風入れ」'11-1)
一昨日、
阿曾美術で、たまたま漆芸家の田中敏雄先生にお会いした。
終戦直後、先生は円覚寺境内にお住まいで、今より倍ほどの樹木があった境内の様子、その頃の僧侶や居士達の話をしてくださった。
私は、円覚寺が大好きなので、とても興味深かった。
また、円覚寺蔵「大般若経 足利判 六百巻三箱」の話を伺った。
これは、経のみならず箱が素晴らしく、箱は経と同時代、蓋は「鑓鉋」仕上げとのこと。
「風入れ」では、箱の蓋も身も経文の横に置かれていた(一箱のみ)が、目が利かないため注目しなかった。
来年は必見。
落語がお好きで、名人の笑いとは如何なるものかから始まった話は、様々に共通する真理であった。
人間の言動でも、アクションが過ぎると返って気持は伝わらず、少し抑えた方が良い。
工芸品も、技術をこれ見よがしにすべきでなく、自然に見えるのが良い。
先生のお人柄は、先生の作品そのものである。
私は、
折敷と
四ッ碗を阿曽さんで購入、大炉
ダイロ
裏千家11代玄々斎好み大炉 の炉縁(左)を依頼している。
先月の茶事教室でも、折敷と四ッ碗の飯椀を煮物
椀として使用したが、しみじみ素晴らしかった。
(つゞく
円覚寺・建長寺「宝物風入れ」'11-4)
後日追記
私も、これみよがしでなく自然に見える技術、技を感じさせない技を愛する。
参照 宗廣力三の郡上紬、「
有元利夫展5」「
はつりの折敷」)
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